微毒親に育てられた長女と自己肯定
独り言のように吐き出してみた長女の自己肯定感についての記事にアクセスを多く頂き、ありがたさと共に自分と同じ悩みを抱えている人がいるんだと思うと励みになる思いです
(励みになる???)とにかく、色々な方に読んでいただけて幸いです。
akira-nakamuraaa.hatenablog.com
ただ「長女」というだけで自己肯定感が低くなるというのは全ての人に当てはまるようには思えません。わたし自身のまわりにも長女で、自己肯定感と自信を持ってバリバリ仕事したり恋愛を楽しんでいる子もいるのにこの差は何なのか。それについて触れたいと思います。
”毒親”という言葉を知っていますか?
青木さやかさんがメディアで告白したり、(実母との確執があったという話をされていました)ちょっと前に「ゆがみちゃん」のWebマンガがバズったりしましたね。
どちらにも大きな反響があったので、世間での認知度や関心度はそれなりなのではないでしょうか。
さて、わたしの親は毒親というには毒素が少なく、しかし毒親ではないとも言い切れない「微毒親」だな〜と思ったことがあるのでそのエピソードを紹介しようとおもいます。
わたしの家族構成
父、母、わたし、弟
普通の家族なのですが
父→子育てに無関心、多分不倫していた。
母→教育への関心あり。しかしその辺勉強していないのでよくわからない
弟→わたしとは仲が良い。不仲な両親に辟易することも。
なんかこれだけ書くと普通の家族っぽくはないですね・・・毒家庭・・・しかしなぜ普通とわたしが記載したのかというと一応最低限の学費が支払われていた。そして自力ではあるが地元の志望校に高校、大学(一浪しましたが)に通うことができていた。ということです。兄弟は仲が良く、特に弟に対しては僻む感情が無かったのでそこだけはとても良好だったと思うからです。
わたしは、幼い頃から母がわたしに言い聞かせてきた内容を「普通のこと」と鵜呑みにして過ごしていましたが大きくなるにつれその認識は世間やわたしが目指す人間としての目標と異なる部分が出てくるなと思うことがありました。
「女の子は車の運転なんかしなくていいの」
生まれも育ちも23区内であればこの通りかもしれませんが、住む場所によってはそれなりに車を使う地方都市に住んでいてこの言い分は大きくなって考えると不可解です。母は車の免許を持っていません。わたしが大学入学と同時に免許の取得を考えていると話した時にこんな発言をされて驚きました。
車がなくても生活できる生活圏ではありましたが、あれば便利ですし将来子どもができたらレジャーや送り迎えに必要になる場面も出てくるでしょうし何より身分証、最低限の資格としても意味を持ち合わせていると思います。今考えると免許を持っていない母からすれば、娘が運転できることが癪な部分もあったのではないかと思います。
(そもそも女の子は〜という性別基準の考え方が前時代的だと理解してほしい)
「結婚すれば幸せになれる」
こういう考えを小さい時から植え付けるって自分で考える力を奪う第一歩だと思うんですよね。
なぜ、結婚すれば幸せになれるの?結婚だけがゴールなのか?親の世間体を気にするだけの形式に、幸せが勝手にくっついてくるとはどういう考え方なのでしょうか。
確かに喜ばしいこと、幸せなこと、憧れることではありますが、そのタイミングや相手を決めるのは全て”自分”なのであって親ではありません。
先日親からこんなラインがきました
「明日はおばあちゃんの命日です。○○ちゃんが幸せになることをおばあちゃんも祈っています」
え・・・・????亡くなったおばあちゃんの言葉わかるの?霊言なの??イタコ芸なの???
なぜ亡くなったおばあちゃんを利用して結婚を遠回しに押し付けてくるのでしょう。
素直に「親戚の子も全員結婚してあなたが残りの1人だからお母さんのメンツを保つためにそれなりの人とさっさと結婚して親、親族を安心させて世間体をキープしてください」とでも言えばいいものを勝手におばあちゃんを騙ってきて辟易しました。そういう押し付けや詮索が嫌なので、結婚する直前まで何も親には話さず、相手と自分で決定した上申告するつもりです。
そもそも、不仲でただ離婚していないだけの関係で子供への干渉の仕方、関心の持ち方が互いにすれ違っている両親を見て幸せそうだと思ったことはありません。DVこそないものの、くだらないことで子供の目の前で喧嘩を繰り返してきた両親を手本にして「結婚すれば幸せになれる」と手放しで考えられるほど簡単な話には思えません。
これだけでは無いのですが、さっと思いついた内容が上記のような話だったので今回の記事にしてみました。絶妙に毒親とも、そうでないとも言い切れないなんとも後味の悪い話の内容が微毒親だな〜・・・と我ながら思います