大人になった今、改めてもののけ姫を観ておもうこと

コロナウイルスの影響もあって、数々の映画が公開を延期する中今一番観られている映画がスタジオジブリ作品のリバイバル上映。

再上映の興行収入がすごいことになってますね・・・!

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そんな世の潮流もあり、先日レイトショーにて「もののけ姫」を鑑賞してきました。

言うまでもなく誰もが観たことがあるであろう超有名作品たちのリバイバル上映、一体再び映画館で鑑賞することがどんな意味を持つのか・・・そう思いながら劇場へ足を運びました。

今回は「もののけ姫」(個人的にジブリ作品で一番好きな映画)を観てきたのでその感想について書いていきます

もののけ姫とは

ja.wikipedia.org

 

もののけ姫といえばジブリ最後のセル画で制作されたアニメーションだということは言うまでもありませんね。アニメーションというのは大体1秒に24コマの絵を動かし、それを繋げて一つの作品にするのが一般的です。(だいたい原則が12〜24コマ)

もののけ姫を制作するのに描かれたセル画の枚数はなんと144,000枚と言われています。

もう計算はやめた・・・この枚数の絵を繋げ、動かし、音楽やセリフを吹き込んで完成されたわけですね。とんでも

ない仕事量です!ジブリでは働けない(????)

わたしが初めてもののけ姫を観たのは公開当初の平成9年です。あの時まだ幼かった私はその手数、仕事量のことは何も考えずただちょっと怖い映画だな〜と思っていたことくらいしか思い出せません(小さい時だからそんなもん)

 

大人になって改めて知るストーリー

事の発端は主人公であるアシタカが里を守るためにタタリ神を仕留めることにより呪いを受けて話が始まります。呪いを解くため、遠い国へ旅立ち、その旅先で神が棲むといわれる森、そこで山犬の娘として暮らすもののけ姫との出会い、そしてその森を切り開き鉄を作る里との出会い・・・自然と、それを破壊する人間の対立にアシタカが関わっていきます。アシタカの呪いは神であった獣が人間の手によりタタリ神にされてしまったことより受けたものなのでこのあたりに絡んでくるのは必然なのでしょうか・・・。

 当時まだ幼かった私は「エボシ御前は神様を殺して森を伐採する悪い人!もののけ姫にやられてしまえばいいんだ!!!」という視点で映画を観ていたのですが(短絡的な発想)当たり前ですがエボシ御前にはエボシ御前の信念(野心?)があり、ただの悪人として描かれていない事を大人になって再発見するのです。

 

 中でも印象的なエピソードはエボシの庭にいるハンセン病患者(と、言われているが作中では名言されていない)が祟り神の呪いと相まってアシタカの感情が高ぶりエボシ御前を殺そうと腕が疼くがどうかその人(エボシ御前)を殺さないでくれと懇願するシーン・・・

めちゃくちゃ込み上げるものがありました。病気の人を保護し、仕事を与え生きる意味を与えるエボシ御前。当時(時代考証わかりませんがおそらく室町時代??)は現代よりおそらく差別が酷く人権もなかったのではないでしょうか。

そんな患者たちに対等に接するエボシ御前は、革新的、先進的な現代にも通じる考え方の持ち主なのではないでしょうか。

 

武器の製造や開発というだけでもかなりの先進的な技術を持っているタタラ場の面々ですが、それを率いるエボシ御前の先進的な考え方がこういったところまで波及していると考えると随分この人への見方も変わってくるのではないかと思います。

 

自然と人間の共存は不可能なのか?

エボシ御前が革新的に物事を進めていく一方、森を壊された神々と獣たちはたまったものではありません。神殺しを目論む人間と森の全面対決に事態は発展していくのですが、獣たちの奮闘むなしくついにシシガミは首を落とされてしまいます。

人間にも被害が全くないわけでは無いですが、シシガミの首を落とされてしまいシシガミによる全ての破壊?が始まってしまいます。

シシガミの体液に触ってしまったものは全て死んでしまい再生することはありません。

命は枯れ森は腐り人間と獣関係なく命を奪いながらシシガミは自分の首を追い続けます。

結果、アシタカとサンが首を奪い返しシシガミに返還するのですが枯れた森や焼かれたタタラ場は完全に元に戻ることはなく、アシタカの呪いとハンセン病患者の病状だけを回復して消えてしまいました。

その後アシタカはタタラ場暮らしサンは引き続き森で暮らし、エボシ御前はタタラ場を良い村にしようと改心(?)するという結末で話は終わるのですが・・・森と人間の折衷案的なところに落ち着きます。しかしフィクションながらにアシタカやエボシ御前の改心むなしくこのあと文明の発展や進化に伴い自然は破壊され現代につながっていくのかと思うと物悲しさだけが残りますね・・・。一見ハッピーエンドのように思えますが果たしてこれは本当にハッピーエンドなんでしょうか・・・。

 

おわりに

宮崎駿監督の作品の中には度々”強い女”が描かれているのですがもののけ姫もその描写がかなり顕著なものだったと思います。(ナウシカクシャナ殿下とかラピュタのドーラとか?)

もののけ姫どうこうよりもはやエボシ御前に対する感想なのですが、あの時代に生まれながらあの考え方、生き方、仕事の仕方は現在にも通じる部分がかなりあったのではないでしょうか。

作中ではあかされていませんがエボシ御前の裏設定として、売られた挙句海賊の嫁にされたがそこをぬけだしタタラ場を立ち上げた(もっといろいろありますが大分端折った)経緯というものもあり、自分の力で生き抜いていく必要性が彼女にはかなりあったのだと思います。

2020年の今でも通用しそうな発想の女性が描かれていたことが自分の中では今回のリバイバル上映では一番考えさせられる部分であり収穫だったのかなーと思います。

そして自分が幼少期よりおおくの経験を積んできたことでここまでキャラクターへの見方が変化する部分(森林を破壊する悪役と思っていたエボシ御前が、とてもリスペクトに値する人物像だった)は名作を改めて見ることの意義を大きく感じました。

つぎはナウシカを見に行こうとおもいます。クシャナ殿下にもまた違った感情で視点を当てることができそうな気がします(?)