結局自己中な人間が全てを手に入れる世の中なのか?
「自分を大事に」とか「やりたいことやって生きる」とか、そんな選択肢を簡単に取れるやつは幸せだ。
生きていて思うのは「結局自己中なやつの方が幸せそうに生きている」という事でした。
自分のことしか考えない人、自分の思った事をすぐ口に出す人、寂しい時だけ連絡してくる人、何でも人任せに生きる人、皆すごく幸せそうに見える。
何故そう見えるのかと言うと「自分はそうではない」からでした。
わたしは自分で言うのもアレなのですが、結構社交的な方だと思っています。
初対面の人とも話せますし、会社でもよその部署に顔を出して話にいくことも苦痛に思いません。が、社交的な自分を演じているうちにどんどん遠慮がちになっていきました。
歯に衣着せぬ物言いをする人は「はっきりしていて意見が言える立派な人」
わがままな人は「甘え上手な人」
自分勝手に振る舞う人は「無邪気で面白い人」
なんでも肯定して、見ているようで見ていない自分に気がついた時には遠慮がちで自分が本当に思っていることを口に出せない人間になっていることに気がついてしまいました。
遠慮がちな人は普通「引っ込み思案で大人しくて人の話を聞いているタイプ」みたいなところに分類されますがわたしはそこそこお喋りで自分の話もするけれど本当に叶えたいわがままは表に出せないという意味不明なジャンルに分類されました。
いつも誰かの顔色を伺って「この人は今◯◯して欲しいんじゃないか」「こう思っているんじゃないか」という気を利かせた風の邪推を繰り返して本当にやりたいことはやらずに、やれずに生きてきたことに気がつきました。
自己中な人は自分の要求を表に出すのが非常に上手いのです。
要求を表に出す事を幼少期から繰り返しているので、そのやり方も大変自然で板についており嫌味に感じません。自分はそれが出来ないので、今更見よう見まねでものまねをしてみても不自然に映ってしまいます。
これは自分にとって大変なコンプレックスであり、羨ましくなる嫉妬の対象でもあります。しかし自分が持っていないものを探しても、今更手に入らないものもあります。
無いものねだりをしたままだと前に進む事ができません。
時には潔くあきらめて「自分にあって他人にないもの」を大事にして生きていかなければなりませんね。